HB101 社長ブログ

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オホーツク人は食べたか?「レッドアンデス」、「知床じゃが」。

 

北海道に、およそ1500年前から、1000年前までオホーツク人が住んでいたそうです。

 

青森県で理髪業を営んでいた人が

北海道の網走近辺で最初に石器を発見したのは明治時代のことでした。

それ以来、その人は石器、土器発見に魅せられて、北海道へ移り住み、理髪業のかたわら、ひたすら石器、土器採取に取り組んだそうです。

 

そして、その人が採取した膨大な石器、土器群により、北海道の道東方面に、

その昔、オホーツク人が住んでいたことが判明しました。

 

オホーツク人はアイヌの人とも違い、また原日本人とも違う様です。

 

今年は二回も知床に行きました。

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 この知床より、北方領土を見て思うのは、どうして日本の領土である、千鳥列島、南樺太、国後、択捉、歯舞、色丹が今なおロシアに占領されているのだろうということです。

 

今年の8月9日に九段会館で行われた「氷雪の門」の上映会では、

たくさんの人達に詰めかけていただきました。

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 (株)フローラとして、この上映会はとても大切であると考えて応援をさせていただきました。

 

「氷雪の門」は昭和20年8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破って、ソ連が侵入した時の

樺太での電話交換手の人達の悲話であり、憂国記です。

そして、その昭和20年8月9日以後、日本の領土である千島列島、南樺太、国後、択捉、歯舞、色丹へのソ連の蹂躙(じゅうりん)が続きました。

 

 

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  北海道の知床で、今年からHB-101をたっぷり使って、じゃがいもを5反歩、

栽培することを決めました。

 赤っぽいじゃがいもの「レッドアンデス」と、白ぽっいじゃがいもの「知床じゃが」です。

 そのキャッチフレーズを、

『オーホック人は食べたか?「レッドアンデス」、「知床じゃが」。』としました。

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限りなく日本を愛する私は、日本の食糧自給率が39%、40%、41%と低迷する状況に、

"自分が何とかしなくては!"と、強く思う様になりました。

今までは31年間、ただHB-101を販売するだけで良かったのが、農家人口が減少し、高齢化し、食糧自給率が下降しつづける状況をただ黙って、放置しつづけることが出来なくなくなりました。

 

それで、(株)フローラもHB-101で栽培する農地を増やし、心ある人達や企業にも耕作農地を増やしていって欲しいと願う様になりました。

 

そして、農業のための様々な取り組みをする様になりました。

 

「東北HB-101農業会議」、「東海三県HB-101農業会議」を終えて、

今年の7月12日に北海道の札幌で「北海道HB-101農業会議」を開きました。

 

北海道全土より、186人の人に集まっていただき、活発に農業会議が行われました。

鈴木宗男氏も是非、参加したかったと言っていたそうです。

 

北海道だけは食糧自給率が200%と高いのですが、やはり、今後、農業者が減少し、高齢化に向かっていく状況にあります。

そういう中で、HB-101で自ら栽培する農地を増やし、また、心ある人達や企業に農地拡大に取り組んでいただきたいと願っています。

 

「北海道HB-101農業会議」では、長年、HB-101農業を実践してこられた大槻昌一さんや横澤健二さんに御自分の農業体験を発表していただきました。

また、大槻さんや横澤さんに密着して、HB-101農業を推進してこられた萩原晃さんのお話には、

多くの参加者が感動につつまれました。

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<平成21年7月12日・北海道HB-101農業会議 より>

 

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ヨーロッパHB-101普及の旅。「レンタカーのワイパーが・・・。」

 

 

今年の6月下旬にヨーロッパへのHB-101普及の旅に出ました。

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そして、6月22日には、(株)フローラのオランダの現地法人、ヤスコ フローラ株式会社を訪問しました。

 

現地の社員は、オランダ人ばかりですが、強力な営業力で、農業方面、趣味の園芸方面、家庭菜園方面とHB-101を普及させています。

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 このオランダの現地法人を作ったのは、平成15年5月でした。

 

きっかけは友人の栗木哲夫さんの強い勧めからでした。

 

栗木さんの友達のケース ファン デル リップさんは、オランダのチューリップなどの球根を海外に輸出する会社の経営者でした。

栗木さんが、このリップさんを紹介してくれ、

リップさんも強力にオランダへの進出を勧めてくれました。

そして、栗木さんとリップさんの強い後押しでヤスコ フローラ株式会社が出来ました。

 

この会社の設立過程で、日本とオランダの会社設立方法の違いを知りました。

日本と違って、オランダでは商工会議所の許可が必要でした。

 

会社が出来、社員を採用して、オランダでのHB-101の販売を開始しました。だんだんとHB-101のお客さんが増えていきました。

その中でも、本当にびっくりしたのはオランダでは大麻が合法ということでした。

 

オランダ中に大麻カフェがありますし、もっとびっくりしたのは、オランダ中に大麻専門の園芸店があることでした。そして大麻を栽培する人達が、「HB-101は素晴らしい。HB-101のおかげで大麻を上手に栽培できる。」と、褒めちぎってくれることでした。

 

私はオランダの大麻愛好家の人の話によると大麻は人間の健康にとても良いそうです。

 

私は相撲が大好きですが、昨年は6人もの力士が大麻事件で角界を去りました。

 

 なんとまあ!日本とオランダはこんなにも違うのかとびっくリしました。

 

 

 オランダは江戸時代、ただ一つの日本との正式通商国でした。

 江戸時代、日本だけの植物だったアヤメをオランダ人が持ち帰り、それを各種交配させて、新種を作り、それが逆に日本に入ってきたりしています。

 

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オランダは海抜0m以下の国で、昔から風車で水を掻い出していました。

 

そして、オランダ中に、運河網が敷かれています。

その運河に大きな船が通る時は、橋が上がって、道路の信号が赤になり、車はストップさせられます。

遅刻した時には、「いやぁ、橋があがっちゃってね~。」などと弁解に使われたりしている様です。

 

オランダは海抜0m以下の国なので、昔から水の技術が発達しています。明治時代、愛知、岐阜、三重にまたがる、木曽川、長良川、揖斐川のたびたびの氾濫に往生していた明治政府は、オランダ人技師のデレーケを招きました。

 

そして、毎年、大水害をもたらしていた木曽三川は、デレーケのおかげで、ようやく本来の恵みいっぱいの川に変わっていきました。

 

オランダはまた、国中に自転車道が出来ています。

 

前のオランダの首相は通勤に自転車を使っていました。

猛スピードで自転車を飛ばして来る人がいて、自転車道に馴れない日本人が、"自転車事故"にあったこともありました。

 

今回ヨーロッパのHB-101普及の旅にはレンタカーを使いました。

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レンタカー会社に何も指定しなければ、オートマチック車ではなく、5速変換ギアの車がまわされてきます。

ヨーロッパは一般の人が乗る車も、レンタカーも、2割がオートマチック車、8割が5速変換ギアの車の様です。

 

今回、レンタカー会社が私に用意してくれた車はチェコ製の車でした。

フォルクスワーゲンの子会社で、SC0RA社という会社製のFABIAという車でした。

 

オートマチック車と指定しなかったので、5速変換ギアの車でした。

 

イギリスなどは日本と同じ様に右ハンドルの車で左側通行ですが、ヨーロッパ大陸は左ハンドルの車で右側通行です。

だから、いつもわたしがヨーロッパ大陸でレンタカーに乗る時は、最初の乗り始めの時に、方向指示器を操作したつもりが、ワイパーが動き出してしまいます。

私がヨーロッパ大陸やアメリカでレンタカーを運転した後に、日本に帰り、車を運転しはじめると、いつも、方向指示器を操作したつもりなのに、ワイパーが動き出します。

 

今回、レンタカーを運転していて、給油しようとガソリンスタンドに行った時、給油キャップの開け方がわからないのでウロウロしてしまいました。

 

私の後ろに並んでいた人に教えを請うと、いとも簡単に私のレンタカーの車のキーで給油キャップを開けてくれました。

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<ヨーロッパHB-101普及の旅より> 

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北海道の(株)植松電機でロケットの打ち上げ実験を体験しました。

 

6月16日に(株)フローラの菰野事務所の人達15人と北海道の友人2人と私の合計18人で

北海道の(株)植松電機に出かけました。

 

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北海道の赤平市にある植松電機は驚くことにロケットを打ち上げたり、

人工衛星を打ち上げたりしている会社です。

 

 植松電機は社員数が20数名の会社です。

マグネットの特殊製造技術があり、通常はマグネットを作っています。

 

会社が暇になると、全社員がロケットや人工衛星の仕事に没頭するそうです。

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6月16日にはいないはずの植松努専務が私達の到着するまで待っていてくれて、

私達と少しお話をして東京に出かけて行きました。

 

植松専務は小さい時からロケットが大好きだったそうです。

彼は学校を出てから、愛知県の三菱重工で派遣社員として数年間働いていたそうです。

 

彼が言うには、彼はあまり優秀ではなかったので、直接には三菱重工へ入れなかったけれど、

派遣社員として三菱重工で、働くことが出来て本当に幸せだったそうです。

 

大法螺を吹く様に"ロケットを打ち上げる"、"人工衛星を打ち上げる"という自分の夢を、

会う人ごとに話しているうちに、段々とそれが現実になっていったそうです。

 

彼と彼の事業に大きな感動と感激を感じました。

 

植松電機は驚くことにNASAに技術提供をしています。

 

世界に3基しかない無重力実験装置の使用を無償公開したところ、世界中の最先端技術が

植松電機に集まるようになったそうです。

 

植松電機の作ったロケットは平成18年9月に宇宙に旅立ち、1年9ヶ月の飛行を達成しています。

また、同じく、平成18年9月に、北海道で初めての人工衛星"HIT-SAT(ヒットサット)"が

植松電機によって打ち上げられ、今、地球をまわっています。

 

私達が出かけた6月16日には、微小重力実験塔の50mの高度から専用の落下カプセルを

落とし、落下する3秒の間に、微小重力状態を作り出す実験を見せてもらいました。

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モデルロケットの打ち上げ実験も出来ました。

 

モデルロケットといっても原理は本物のロケットと同じです。

 

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また、ロケットが発射する時のけたたましい発射音を作ってもらいましたが、

私達全員、驚きあわてふためき、逃げまどいました。

腰を抜かしてしまった社員もいました。

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私達18人が手作りで作ったモデルロケットに専用の火薬エンジンを装着してもらい、

順番に点火スイッチを押してゆきました。

 

 「3、2、1、点火!」と、

 

モデルロケットは空高く飛び、パラシュートが開き、ゆっくりと落下してきました。

 

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私達はモデルロケットの打ち上げ実験を童心に返って体験しました。

 

 

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昔の川を取り戻したくて・・・。故郷の川にアマゴ一万匹を放流しました。

 

私は三重県の人里離れた山村の十社村小原一色(とやしろむら こはらいっしき)で生まれました。*現在の地名は"いなべ市北勢町小原一色" です。                     

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病院で生まれたのではなく、自宅で産婆さんにとりあげてもらって生まれました。

 

幼稚園も保育園もなく、いきなり、小学校に入学しました。

小学校の時は、夏休みになると、川の深い所を選んで、そこを少し塞き止めて、学校の先生に"泳ぎ場"として許可をもらってから、毎日、毎日、泳いでいました。

 

上流に人家がないため水は極めて清く、泳いでいる魚がはっきりときれいに見えました。

  

私がその時代にその川で見た魚は、アマゴ、ドンコ(鰍{かじか}の地方名です)、ウナギ、ドロバエ、アカンザ(赤い色をしていて、成魚は10㎝ほどの大きさです。ナマズの一種で、つかもうとして刺されることもありました)、ザッコ(ドンコより細く、小さい魚で川底を這って泳いでいました)の6種類だけです。

 

現在、96歳の村の古老に聞くと、古老の子供の頃にはアユやウグイもたくさんいたそうです。

 

現に"うぐい谷"という地名が残っています。

 

川の名前は小原一色川(こはらいっしきがわ)です。

員弁川(いなべがわ)<町屋川ともいいます>の上流に、貝野川があり、さらに上流の川が小原一色川(こはらいっしきがわ)です。

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小学生の時の夏休みの夕方には時々、"流し"といって太い釣針にえさのミミズをつけて、川の50ヶ所程に仕掛けをしておき、翌朝、午前4時から5時にかけて見に行くと、3本から4本、ウナギがかかっていました。

 

名古屋や大阪から釣りに来た人が、30㎝ほどのアマゴを何匹も釣り上げているのを見たことがありました。

また、アマゴ突きの名人の人が水鏡でアマゴを見ながら、簎(ヤス)で一瞬のうちにアマゴを仕留めてしまう早業にただただ驚いていました。

 

とにかく、魚がいっぱいいた清流でした。 

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 「水清ければ、魚棲まず」ではありませんでした。

 

 今年の四月の日曜の早朝に秋田犬の"小町"を連れて小原一色川の上流の"うぐい谷"や"本谷"を散歩しました。

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そして、川を見ると、あまり、魚がいませんでした。

 

昨年の三月まで、40年間、操業していた砂利会社の影響かもしれません。

「何とかしなくては!」と、思いました。

 

 

アマゴを放流したいと思いました。

 

 

同級生の自治会長の水元俊久君に相談すると、アマゴを放流することは全く問題ないとのことでした。

 

共同研究している近畿大学の來田秀雄先生に相談すると、アマゴは和歌山県の新宮市の近畿大学の養殖場から持ってくることが出来るとのことでした。

 

早速、一万匹のアマゴを6月6日に和歌山県から小原一色まで持ってきてもらう様に頼みました。

 

 

6月6日、アマゴ、一万匹が小原一色の人達の拍手の中、3トン半のトラックに乗って到着しました。

 

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小原一色の36軒の家から50人もの人達が出迎えてくれました。 

   

そして、その3トン半のトラックを運転してきた、近畿大学の人が、ビニール袋に水を入れ、アマゴを入れ、酸素を注入していってくれました。

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そして、五百匹のアマゴを入れたビニール袋が二十袋出来ました。 

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それを小原一色の人達が十台の軽トラックに分乗させ、人も分乗して、それぞれの放流場へ持っていきました。 

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小原一色の川の上流の"うぐい谷"と、"本谷"と、両方の谷の合流地点から500m下流までの各地点で放流が行われました。

 

小原一色の人達は皆、大喜びでアマゴを放流していってくれました。

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子供達にとっても非常に勉強になったのではと思います。

 

今では小原一色にもプールが出来て、私達の子供時代の様に今の子供は川で泳いだりもしないし、川で遊んだりもしません。今回のアマゴの放流体験をきっかけに、子供達が小原一色の清流に親しんでくれれば、本当に嬉しく思います。

 

アマゴの放流をきっかけにふるさとの川をよみがえらせるために、HB-101の1000倍液を点滴の様に流し始めました。

勿論、事前に自治会長より許可をもらいました。HB-101の1000倍液の20ℓ点滴放水箱を、川の5ヶ所に設置しました。

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HB-101、1ℓを18000円として、20ccのHB-101で360円です。この20ccのHB-101を1000倍液にした20ℓを一ヶ月かかって点滴すると、一箱の一ヶ月あたりのHB-101の代金は360円になります。

 

きっとHB-101で川はアマゴの棲み良い環境になっていくと思います。

 

金魚鉢に入ってる金魚が死にかけている時に、HB-101を一滴、二滴入れると金魚はぐんぐんよみがえってきます。中の水草も本当に元氣になります。

濁った水もHB-101で、きれいに澄んできます。

各地の川や湖や海でHB-101を点滴の様に流していけば、魚は元氣になるし、水草も元氣になるし、水もきれいになっていくと思います。

 

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 小原一色でのアマゴ放流が大好評だったため、これから百年も千年も、毎年6月の第一土曜日にアマゴの放流をしていくことの了承を自治会長より受けました。

 

 

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幣立(へいたて)神宮には凄いパワーがありました。

 

5月26日、27日と熊本県へ行ってきました。

 

フジテレビ系列のテレビ熊本で録画を収録するために、5月26日の午前10時過ぎから午後1時半まで、テレビ熊本に滞在しました。

 その録画は6月5日(金)の午後2時35分から2時50分の間の"暮らしの窓"の番組で約13分間ぐらい放映されるとのことです。

 

録画後、テレビ熊本の人に九州財務局まで送ってもらう途中、加藤神社に参りました。

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加藤神社は熊本城の隣にあり、加藤清正公をお祭りしています。

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熊本の人達は加藤清正公を非常に尊敬している印象を受けました。

  

 

九州財務局では総務部長の春山芳司君が出迎えてくれました。

彼はノンキャリアながら九州財務局のナンバー2です。

春山君が、「もう間もなく、滝田君が神戸からやってくる」と、言っていると、滝田君がやって来ました。

春山君が昭和28年1月19日生まれ、滝田君が昭和27年8月5日生まれ、私が昭和24年9月23日生まれで、年齢も違うし、学校も三人とも別々ですが、東京時代から、35年間ずっと交友を続けています。

 

春山君が今から会議が1時間ほどあると言うので、私と滝田君は九州財務局から歩いて数分のところにある熊本城へ見学に行きました。

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1時間半ほど熊本城を見学した後、春山君が日本テレビ系列のくまもと県民テレビに連れていってくれました。

 

そこで、予定外のテレビインタビューを受けました。その模様が"生活快増倶楽部"という番組で6月19日午前9時半から9時55分の間に放映されるそうです。

 

午後6時半に私達3人と山都(やまと)酒造(株)の西田末生社長も加わって、食事に行きました。

 

山都酒造(株)は珍しい栗焼酎を作っている会社で、"川瀬"と大きく書いた栗焼酎の一升瓶を西田さんよりいただきました。

この栗焼酎は非常においしく、やみつきになりそうです。

西田さんは酒に強く、私達は4軒もはしごをしてしまいました。

 

5月27日は、春山君は仕事で種子島へ行き、私と滝田君はレンタカーで"幣立(へいたて)神宮"へ行きました。

 

前日、何回も春山君が"幣立神宮"へ行けと勧めてくれました。彼は現在、一ヶ月に2回"幣立神宮"へ行ってパワーをもらってくるそうです。

 春山君は財務省で超多忙のため4ヶ月間、ほとんど寝ずに仕事をして、体をこわし、胃を全部取ってしまったのに、"幣立神宮"のおかげで、超パワーを発揮して仕事に取り組める様になったそうです。

 

熊本市から車で1時間半ほどの宮崎県境に近い所に"幣立神宮"はありました。

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若い女性に人気のパワースポット、スピリチュアルプレイス、癒しのゼロ磁場地帯とのことで、平日で、雨降りにもかかわらず、若い女性がたくさん、東京や大阪からやってきていました。

 

私と滝田君は春木伸哉宮司の御祓いを受け、宮司からいろいろと日本の素晴らしさを教えていただきました。

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"幣立神宮"の境内の各所を散策していると、確かに、強烈なパワーを感じます。

みるみる力が湧いてくると春山君が言った通りでした。

 

この"幣立神宮"は一万五千年前に出来たという説もある様です。

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日本の素晴らしさの数々を教えていただき、強烈なパワーをいただいて、

最高の一日になりました。

 

 

 

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ロシアに天才青年が現われました。

 

数年前、三重県伊勢市の女性から、お手紙をいただきました。

 

その数日後に、私は伊勢神宮の外宮さん、内宮さんを参拝した後、おかげ横丁で、その女性の御主人とその女性にお会いしました。

その後、彼女は息子さんと(株)フローラに来社されました。

 

息子さんの名前は"山出峰崇"でした。名前の中に"山"が5つもある素晴らしい青年でした。

昭和五十八年十一月二十五日生まれで、現在、二十五歳ですが、初めて会った時はモスクワ大学の学生で、二十一歳でした。

 

彼は三重県の伊勢市にある皇學館高校一年の時にアメリカに渡り、アメリカの高校を卒業して、アメリカの大学に入り、そのあと、モスクワ大学に編入学しました。

山出峰崇君はモスクワ大学の春休み、冬休み、夏休みにたびたび(株)フローラに遊びに来る様になりました。

そして、ある時、「HB-101をロシアで大々的に広めたい。」と、自分の夢を熱意をこめて語り始めました。

 

私が、「じゃぁ、やってみなさい。」と言うと、彼はたちまちモスクワに戻って、現地法人のフローラ株式会社を作ってしまいました。

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ロシアの(フローラ株式会社の事務所です。

 

そして、月ごとにロシアでのHB-101の売り上げを伸ばしてゆきました。

 

彼が是非、ロシアでのHB-101の状況を見に来て下さいと言うので、平成20年の7月に1週間、モスクワへHB-101の状況を見学に行きました。

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ロシアでのHB-101見本市も大盛況です。

 

 

彼と私がモスクワ市内を車で移動していると、国会議員が通りかかり、そのため、1時間以上も道路が大渋滞になりました。

ソ連時代の悪弊がまだ、今もなお続いているため、そんなことがたびたび起こるそうです。

 

ソホーズ、コルホーズという、ソ連時代の国営農場、集団農場が今でも各地にありました。

一つの農場の大きさが東京ドーム100個分ほどもあるソホーズやコルホーズもありました。

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そんな所でもHB-101は使われていました。

 

また、園芸店でもHB-101は売られていました。

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ロシアの園芸店で売られているHB-101と顆粒HB-101です。

 

 

モスクワの町を歩いているとスターリンみたいな人が近づいてきて「一緒に写真を撮ろう!」、そして500ルーブルくれということでした。

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石油価格も大幅に下がり、ロシアの株価は2年前の5分の1になりましたが、HB-101のロシアでの人気はもの凄く、今年の4月の売り上げは2年前の4月の10倍以上の売り上げを記録しています。

 

天才青年の山出峰崇君が私に「何か自分に出来ることがあるでしょうか?」と聞くので、

「南樺太、全千島、歯舞、色丹、国後、択捉は元々、日本の領土なんだから10年以内に日本へ返してもらう様に是非、君の力で頼むよ。」と、

彼のこれからの手腕に期待をこめて言いました。

 

明治三十七年から三十八年にかけての日露戦争で日本が勝利してから、ロシアの周辺の国々は、大いに喜びにわきました。

 

フィンランドでは、日本海海戦で大勝利した東郷平八郎さんにちなんで"トーゴービール"を作りました。

 

今でも、フィンランドに行くと"トーゴービール"を飲むことが出来ますし、買うことが出来ます。

 

明治三十八年九月のポーツマス条約で、全千島列島、南樺太、歯舞、色丹、国後、択捉は日本領土と決定しました。

しかし、第二次世界大戦後の昭和二十年八月以降、これらの島々は、ソ連が不当占拠し、ソ連崩壊後、ロシアがそのまま占拠しつづけています。

 

 

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東北に続き、「東海三県HB-101農業会議」を行いました。

 

平成21年3月22日に「東海三県HB-101農業会議」を行いました。 

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場所は名古屋駅から近い、ホテルキャッスルプラザの3階の孔雀の間で、午前10時から途中、1時間の昼休みをはさんで午後3時まで、非常に活発な会議になりました。

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愛知県と岐阜県と三重県からHB-101農産物を作る農家様と安全な農産物を求める人達が一同に会して、熱い思いを、それぞれの立場から語っていただきました。また、書面にも書いていただきました。

 

 

 その熱いお声の数々を次に列挙させていただきます。

 *********************

 

 

「今までの政治では、日本の農業はつぶれてゆきます。農業政策の転換が必要です。」

 

「日本農業が再生し、40年前の"国内農産物が7"、"海外農産物が3"の水準に復活させてほしい。」

 

「HB-101農産物を名古屋市内で販売して下さい。」

 

「私達の所は瑞穂区で、高齢者が非常に多く、店もないので、ニートの若い人に教育して、週に一回でも、二回でも、HB-101で出来た作物を軽トラで売りに来てほしいです。」

 

「私のHB-101農産物を本日は多くの人に見てもらって喜んでいます。今後、自信を持って生産に力を入れてゆきます。」

 

「安全、安心の無農薬野菜がほしいです。」

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「人体に害が無く、取扱いも簡単!魔法のように効果のあるHB-101のPRをもっと大々的にされ、一人でも沢山の方が使用されることを希望します。農産物にHB-101の表示があると有難いです。」

 

「平成元年からずっとHB-101を使っています。HB-101を使った野菜は特別な物です。」

 

「フローラさんの事業、全ての事に大変関心を持っております。私達も声を大にして、応援していきたいと思います。」

 

「これから先、子孫のために、HB-101無農薬の野菜、米、茶、果物等がどんどん店頭に並ぶことを希望します。」

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「農家がどんどんやめていくのが残念です。農業がやりがいのある仕事として、成り立つ様な日本になってほしい。安心して食べられる物がほしい。毒の入った物はいらない。」

 

「食の安全ということで、フローラさんには、農薬を使わない農業の推進に努めてもらいたい。」

 

「フローラさんのキメの細かい宣伝、教育を続けて、安全、安心な食品が手に入り、生産者も儲かり、消費者も喜ぶ様にしてほしい。」

 

「新鮮であることが重要です。何よりも消費してくれる人に収穫後、可能な限り、早く供給し、早く食べてもらうことが大事です。」

 

「誠実に食味向上に努力します。」

 

「日本の農業は大層、難儀の中にありますが、HB-101で前途に大きな望みが出来ています。」

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「リタイヤして家庭菜園をしている人が増えています。その人達の作った物で、農家の人が顔負けの野菜があります。しかし、行き場がなく、捨てられたりして、もったいない思いをしています。その農産物が、食料自給率改善に役立てればいいのにと思います。」

 

「日本の食料自給率が39%、何とかししなければ、この先が心配です。HB-101が強い味方になってくれると思います。」

 

「HB-101様のお力で、休耕田の活用を、力を入れてやって下さい。」

 

「身体に害のない、安全な食べ物の提供を望みます。収穫されたものの全てが、供給されるシステムを構築して下さい。」

 

「販売所を出来るだけ増やして下さい。。」

 

「フローラが産直を始めるならHB-101使用のシールを貼り、商品をブランド化すべきである。」

 

「コストがかかっても、完全にすれば一人立ち出来ます。急がず、一歩一歩進んでほしい。」

 

「HB-101で出来た大豆から味噌や醤油などの安全な食料品を作ってほしい。」

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「良品生産が価格に結びつく流通ルートの形成を望んでいます。栽培努力が報われる農業になるとうれしいです。」

 

「HB-101農産物の移動販売を名古屋でして頂けると有難いです。」

 

「直接流通で農家は生き返ると思います。これからは第一次産業の時代です。」

 

「農業学校の支援をして欲しいと思う。HB-101を研究や卒業論文に使わせて頂けるといいと思う。」

 

「楽しく、会社員みたいに給料がもらえる方法が出来たら、若い人の農業人口が増えると思う。農業が発展する事を祈っています。」

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「農業人口が拡大していくとよいですね。郵便局の"ふるさと小包"に参加したらどうでしょう。」

 

「コンビニを経営をしています。そのコンビニ駐車場で、安全、安心な食品の朝市を開きたいと考えています。」

 

「子供の頃から、農業体験をさせる仕組みを教育の中で作ってほしい。」

 

この様に熱い熱いお声をいっぱい頂きました。

 

そのお声を着実に、しっかりと受けとめて、実行に移せるものは、出来るだけ早く実行に移していきたいと思います。

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平成21年3月22日「東海三県HB-101農業会議」より

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新潟県の魚沼市、南魚沼市、佐渡にも、HB-101自社農場が続々と・・・。おいしいお米が出来ると思います。

新潟には昭和48年以降よく行っています。

 

私の友人の羽賀不二夫君の家が新潟の南魚沼の浦佐にあります。

昭和48年に彼の家へ行った時、羽賀君のお母さんの「・・・・・・だんだんが・・・・・・」という話の間に入る"だんだん"という言葉に興味をひかれました。

 

"だんだん"は島根県では"有難う"の意味であり、一般的な"だんだん"は"徐々に"の様な意味だと思います。

しかし、羽賀君のお母さんの「・・・・・・だんだんが・・・・・・」は、「・・・・・・・だから・・・・・」という意味だそうです。

 

羽賀君の家では、家の外にある五右衛門風呂に入りながら、満天の星を見たことを今でも鮮明に覚えています。

 

私の長女の那奈も、今年の3月23日に卒業するまで、新潟大学の歯学部で勉強させていただきました。

 

また、清野正男さんは新潟県の佐渡の人で、昭和48年当時、東京の学校でよく彼の熱弁を聞いていました。。

その当時の彼は、とにかく元気な人だという印象がありました。

その彼に、昨秋、魚沼市の旧入広瀬村で、35年ぶりに会いました。

 

 そんな、新潟の人とのつながりで、今年から魚沼市と南魚沼市と佐渡市に(株)フローラの

自社農場が出来る様になりました。

 

3月7日、8日、9日と、魚沼市、南魚沼市、佐渡市に行ってきました。

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3月7日は魚沼市の旧入広瀬村で、魚沼市市議会議員の佐藤貞一さんの田圃、5反を、(株)フローラの農場として使わせていただく契約書に調印しました。

 また、佐藤栄一さんの田圃も5反、(株)フローラの農場として使わせていただく契約に調印しました。

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そのあと、三輪佳孝さんや清野正男さん、佐藤貞一さん、佐藤栄一さんなど、関係者全員で食事しながら懇親会をしました。

そこでは、佐藤貞一さんが作った密造酒?の"どぶろく"が、しこたま、ふるまわれました。

 

 この魚沼市の旧入広瀬村は冬には例年、6メートルの積雪がある所です。今年は少なめの雪でしたが、3月7日には『雪中行軍』の行事がありました。 

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私も"どぶろく気分"のまま雪の降る中、笠をかぶって、その行軍に参加しました。

 

雪中行軍の終着点では酒や食べ物や、汁物がふるまわれ、

踊りなどのイベントが行なわれていました。

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3月8日には南魚沼市で、羽賀不二夫君の小学校・中学校時代の同級生で、南魚沼市市議会議員の関常幸さんが役員をつとめる(有)ウラコウさんより、2町6反の田圃を(株)フローラの農場として使わせていただける話が進みました。

八海山が見える素晴らしい所です。

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さぞや、HB-101でおいしい『魚沼産こしひかり』が出来ることでしょう。

 

 

そして、その日、フェリーで佐渡に渡りました。

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佐渡に着いたその日の夕刻、小田誠さん、金子輝雄さん、後藤国臣さんの片野尾とき舞株式会社より、1町歩を(株)フローラの農場として使わせていただく契約に調印しました。

 

あくる日、(株)フローラの農場に決まった所を数ヶ所案内していただきました。

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いたる所にトキを保護し、育成する為のさまざまな配慮がありました。

 

きっとHB-101で、とても、おいしい佐渡のトキ米が出来ると思います。

 

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雪のニュルンベルグのオーガニック展に出展しました。

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ドイツでは各都市が競い合う様に、見本市会社を持ち、大規模な見本市を開いています。

 

ハノーバー、フランクフルト、デュッセルドルフ、ニュルンベルグ等々の各都市が、例えばハノーバーメッセという会社を持って、特色のある見本市を開き、世界各国から出展者や参加者を集めています。

メッセというのはドイツ語で見本市という意味です。

日本でも千葉の幕張メッセ、仙台の夢メッセ、新潟の朱鷺メッセ等、メッセという言葉が使われています。 

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今年の2月19日から22日まで、ドイツのニュルンベルグで、オーガニック展に出展しました。

平成15年の2月より毎年、この「Bio Fach」という名前のオーガニック展に出展しています。

 

「Bio Fach」は別名、「World Organic Trade Show」ともいい、世界最大のオーガニック展です。

 

今年は世界102ヶ国から、2744社が出展していました。

日本からの出展は(株)フローラだけでした。

 

(株)フローラは日本にあるニュルンベルグメッセの子会社から猛烈な勧誘を受け、平成15年の2月より毎年、出展する様になりました。

手伝ってくれる人の手配はいつも、その子会社がやってくれています。

今年、手伝ってもらったのは、ドイツ人と結婚した日本人女性3人とブルガリア人女性1人の合計4人でした。

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今年の見本市会場でも安全、安心の食品や飲料、農産物が多数出展されていました。

それぞれの出展場所の所をブース(Bootn)といいます。

(株)フローラのブースにも世界各国のお客様が来られ、HB-101のすごさを多くのお客様から教えてもらいました。

日本からは2月19日から22日までの4日間で合計21名の日本人の人達に(株)フローラのブースへ来ていただきました。

 

初日の2月19日には女優の杉田かおるさんがドイツに住む妹さんと一緒に私達の所へ立ち寄ってくれました。

伝えられているダーティ?なイメージはなく、子役時代の明るい印象そのままでした。

 

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HB-101で日本と世界の食料危機を解決していくために、積極的に見本市や展示会に出展しています。

日本では、(㈱)フローラは1年間に1000ヶ所以上の見本市や展示会に出展しています。

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日本もドイツも第二次世界大戦の敗戦国です。

戦後、両国とも、戦勝国による裁判を受けました。

 ドイツのニュルンベルグでは、「ニュルンベルグ裁判」が行われました。

日本では「東京裁判」が行われました。

 

タイの元首相のククリット・プラモード氏がタイの新聞"サイヤム・ラット"紙に「十二月八日」と題して、次のように発表しています。

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、アジア諸国が、アメリカやイギリスと対等に話が出来るのは、一体だれのおかげであるのか。それを『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意をされた日である。

さらに八月十五日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日でもある。われわれはこの二つの日を忘れてはならない。」と、元首相は日本の犠牲のおかげで、今のアジアの発展があると述べています。

 

 日本は負けたけれども、日本のおかげで、アジアやアフリカの人達が奴隷状態から解放されたのだと世界各国の人達が私に語ってくれています。

 

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世界どさ回り紀行。「アフリカのガーナにカバンは着きませんでした。」

平成21年2月14日に

アフリカのガーナにやってきました。

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しかし、自分のカバンが着いていませんでした。

 

三回目でした。

 

一回目は平成十六年二月に、ルフトハンザ航空でフランクフルトからロンドンへ、そこから英国航空でケニアへ行った時でした。

その時は翌日、荷物を受け取ることが出来ました。

 

  

二回目は平成十九年七月、タイのバンコックからタイ航空でシンガポールへ、そこからシンガポール航空でパキスタンのカラチに行った時でした。

その時は翌々日に荷物を受け取ることが出来ました。

 

今回はエミレーツ航空で関西空港からドバイ、そこから飛行機を乗り換えて、エミレーツ航空でガーナのアクラというコースでした。

 

さて、ガーナのアクラ空港の遺失物係に行くと、明日の午後二時に取りに来てくれという話でした。

私が「本当に私のカバンは明日、着くのですか?」と聞くと、「大丈夫!」と言っていました。

さて、翌日の午後二時にカバンを受け取りに行くと日本人みたいな人もいて、日本語で「お宅もですか?」と話しかけられました。

「はい。三回目です。」と、まるで自慢でもする様に答えてしまいました。

その方は一回目だった様で、やっぱり、私の勝ち?でした。

 

お互い、名刺交換すると、その方の名刺には「政策研究大学院大学教授 園部哲史」と書いてありました。

ガーナの地方にしばらく滞在して研究をされるとのことでした。

「日本のジャイカがアフリカの米の生産倍増計画を立てていますから、HB-101がそこに組み込まれるといいですね。」と園部さんにアドバイスをいただきました。

こんな、最果ての地で同じ境遇になると、なにか、戦友になった様な心境で、お互い別れを惜しみつつ、健闘を誓いあいました。

 

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平成十六年五月にアフリカのセネガルに直営の現地法人「フローラセネガル株式会社」を作る時、"WESTERN UNION"で送金してくれと言うので、日本で聞きまくりましたが、「ウエスタン ユニオン?何ですかそれ?」と、なかなかわかりませんでした。やっと日本に一つだけ、"ウエスタンユニオン"があるのがわかりました。

スルガ銀行東京支店に、"ウエスタンユニオン"はありました。

そこから、「フローラセネガル株式会社」の設立資金や運営資金や事務所開設資金や車両購入資金等を何回にも分けて送金しました。

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この"ウエスタンユニオン"はアフリカ中、至る所にあり、ガーナのアクラ市内でも、ほとんど1kmおきぐらいにありました。たいてい銀行と併営されているのが大部分の様でした。

 

 "ウエスタンユニオン"は「たった一秒で送金できる!」とのことでした。

まるで、「たった一秒で消臭できるニオイノンノ!」みたいなキャッチフレーズでした。

 

アフリカの人達は、この"ウエスタンユニオン"をとても重宝していると感じました。

 

 しかし、たった一つだけ日本にあった"ウエスタンユニオン"は今年の一月末を持って閉鎖されてしまいました。おそらくマネーロンダリングとか、何か問題があったので金融庁が閉鎖させてしまったのではと思いました。

 

アフリカと世界の食料危機をHB-101で救っていくために一歩、一歩、しかし、ダイナミックに活動を進めています。

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一倉定先生という亡くなられた経営コンサルタントの先生に「穴熊社長ではいけない。社長は一ヶ月に1/3以上、会社にいてはいけない」との教えを受け、以来、日本と世界の"どさ回り"の旅を続けています。

一倉定先生のおかげで、HB-101は世界中に広まっています。

 

今回、ガーナに来たら、調べたいことがありました。

 

昭和四十八年に日本に来たガーナのブラックソンさんのことでした。

ブラックソンさんは非常に尊皇家で、前世は日本の天皇陛下様の近衛兵だった様です。

彼は昭和四十八年当時のガーナのアチャンポン大統領の親友で、アチャンポンさんがクーデターで失脚すると、ブラツクソンさんはロンドンに亡命してしまいました。

 

今回、彼の消息を色々訪ねあたりましたが、結局何もわかりませんでした。

 

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