世界どさ回り紀行。「アフリカのガーナにカバンは着きませんでした。」
平成21年2月14日に
アフリカのガーナにやってきました。
しかし、自分のカバンが着いていませんでした。
三回目でした。
一回目は平成十六年二月に、ルフトハンザ航空でフランクフルトからロンドンへ、そこから英国航空でケニアへ行った時でした。
その時は翌日、荷物を受け取ることが出来ました。
二回目は平成十九年七月、タイのバンコックからタイ航空でシンガポールへ、そこからシンガポール航空でパキスタンのカラチに行った時でした。
その時は翌々日に荷物を受け取ることが出来ました。
今回はエミレーツ航空で関西空港からドバイ、そこから飛行機を乗り換えて、エミレーツ航空でガーナのアクラというコースでした。
さて、ガーナのアクラ空港の遺失物係に行くと、明日の午後二時に取りに来てくれという話でした。
私が「本当に私のカバンは明日、着くのですか?」と聞くと、「大丈夫!」と言っていました。
さて、翌日の午後二時にカバンを受け取りに行くと日本人みたいな人もいて、日本語で「お宅もですか?」と話しかけられました。
「はい。三回目です。」と、まるで自慢でもする様に答えてしまいました。
その方は一回目だった様で、やっぱり、私の勝ち?でした。
お互い、名刺交換すると、その方の名刺には「政策研究大学院大学教授 園部哲史」と書いてありました。
ガーナの地方にしばらく滞在して研究をされるとのことでした。
「日本のジャイカがアフリカの米の生産倍増計画を立てていますから、HB-101がそこに組み込まれるといいですね。」と園部さんにアドバイスをいただきました。
こんな、最果ての地で同じ境遇になると、なにか、戦友になった様な心境で、お互い別れを惜しみつつ、健闘を誓いあいました。

平成十六年五月にアフリカのセネガルに直営の現地法人「フローラセネガル株式会社」を作る時、"WESTERN UNION"で送金してくれと言うので、日本で聞きまくりましたが、「ウエスタン ユニオン?何ですかそれ?」と、なかなかわかりませんでした。やっと日本に一つだけ、"ウエスタンユニオン"があるのがわかりました。
スルガ銀行東京支店に、"ウエスタンユニオン"はありました。
そこから、「フローラセネガル株式会社」の設立資金や運営資金や事務所開設資金や車両購入資金等を何回にも分けて送金しました。

この"ウエスタンユニオン"はアフリカ中、至る所にあり、ガーナのアクラ市内でも、ほとんど1kmおきぐらいにありました。たいてい銀行と併営されているのが大部分の様でした。
"ウエスタンユニオン"は「たった一秒で送金できる!」とのことでした。
まるで、「たった一秒で消臭できるニオイノンノ!」みたいなキャッチフレーズでした。
アフリカの人達は、この"ウエスタンユニオン"をとても重宝していると感じました。
しかし、たった一つだけ日本にあった"ウエスタンユニオン"は今年の一月末を持って閉鎖されてしまいました。おそらくマネーロンダリングとか、何か問題があったので金融庁が閉鎖させてしまったのではと思いました。
アフリカと世界の食料危機をHB-101で救っていくために一歩、一歩、しかし、ダイナミックに活動を進めています。
一倉定先生という亡くなられた経営コンサルタントの先生に「穴熊社長ではいけない。社長は一ヶ月に1/3以上、会社にいてはいけない」との教えを受け、以来、日本と世界の"どさ回り"の旅を続けています。
一倉定先生のおかげで、HB-101は世界中に広まっています。
今回、ガーナに来たら、調べたいことがありました。
昭和四十八年に日本に来たガーナのブラックソンさんのことでした。
ブラックソンさんは非常に尊皇家で、前世は日本の天皇陛下様の近衛兵だった様です。
彼は昭和四十八年当時のガーナのアチャンポン大統領の親友で、アチャンポンさんがクーデターで失脚すると、ブラツクソンさんはロンドンに亡命してしまいました。
今回、彼の消息を色々訪ねあたりましたが、結局何もわかりませんでした。
